【大阪本町店】ツール・ド・おきなわ イベントレポート! スタッフ利田が走ってきました!

【大阪本町店】ツール・ド・おきなわ イベントレポート! スタッフ利田が走ってきました!

TREK Bicycle大阪本町店の利田(カガタ)です。11月12日に開催されました【ツール・ド・おきなわ市民200㎞レース】に参戦してきました!

 

ツール•ド•おきなわ市民200km

 

つい昨年までは名称が210kmであり、コース変更でその名称が変わりましたが、カテゴリーは同じです。別名【ホビーレーサーの甲子園】。

走行距離200㎞、獲得標高3,100mとホビーレーサー日本一決定戦と呼んでも過言ではない格式ある国内最高峰のレースです。
実に5年ぶりの参加であり、コースを覚えていなかったり不安は多々ありますが、10月には月間走行距離3,000㎞と自分比で過去一乗り込んでの挑戦となりました。
疲労が溜まっている状態でも徐々にパフォーマンスは上がりだし、六甲山逆瀬川~一見茶屋37分台、十三峠14分台と疲労を抜けばどんなタイムがでるのかとワクワクできる状態、だったのですが…
レース週に子供と鬼ごっこをしているとハムストリングを肉離れするという奇跡を起こします。自転車しか運動していないこと、オジサンの身体であることを忘れていたばかりに、とんでもないタイミングでとんでもないダメージを負ってしまいました…。

 

いざレース当日!

今年の沖縄は例年になく気温が低く、関西と変わらない気温で更には雨天ということでもう覚悟を決めるしかないという天候です。
スタート地点まで10㎞ほどの距離ですが、スタートする前からずぶ濡れです。私、寒さに極端に弱くてですね、悪天候であることも見越して念のため雨天用の装備も用意してきておりました。通常のレース用ウェアに加え、濡れたウェアが素肌に張り付かないようにインナーウェア、加えてアームカバーではなくアームウォーマー、通常のグローブの上からゴム手袋、レインジェルにて体を保護。
最後にレインウェア。
足元は経験上、レインカバー系をしていても200㎞の長丁場ともなればずぶ濡れになるのでもう最初から諦めておりました。できる限りの準備はした。
地元では家族が待っているので無事安全に帰還することは当然のことですが、過去一乗り込んだこともあり、負傷しているとはいえあっさり終わるような走りはしなくないという思いもありました。

 

スタート~普久川ダム前まで

降りしきる雨の中、午前7時34分頃にスタートが切られます。
スタートしてからは後ろに下がりすぎないように、また上りに入るまでは可能な限り集団に埋もれないことを心掛けます。
脚を使わず体力温存は生き残るために必要な選択かもしれませんが、勝負も始まってもいないのに落車に巻き込まれ終了という事態だけは避けたい。
確率的なところでいうと、そのリスクを減らせられるだけ減らしたい。
よって雨、爆風の中ではあったけど、普久川の上りに入るまでは自分の脚を使うことになってもとりあえずは集団の外側を走る選択をしました。
止まない雨に沖縄のスリッピーな路面、集団走行、5年ぶりでコースが抜け落ちていて神経をとても使います(毎年この平坦区間が一番神経をすり減らしていると思われます)。
チェック選手は絶対王者過去最多7勝の高岡さん、超絶エンデュランス能力を持つ井上さん、ニセコクラシック40代1位の松木さん、同じく2位の田崎さん、昨年おきなわ2位の北野さん、3位の南さんetc…。
他これまで参加していなかった有名選手で言えば2022富士ヒルクライムチャンピオン真鍋さん、ヨーロッパでの選手経験も持つ中里さん。列挙すればきりがないくらいに何らかのタイトルを持っていたりと聞いたことある名前ばかり出てくるのがこのオキナワ200㎞。
ホビーレーサーの頂点のレース。
5年と月日は流れはしましたがもう一度、トップの方々と競い合いたいという気持ちは最後に出場したときから消えておらず、とても待ち遠しくもありました。
大きな危うい箇所もなくいよいよ人数が絞られるであろう上りが近づいてきます。

 

ⒸMakoto AYANO/cyclowired.jp

普久川ダム奥の上り

事前にチェックしていた選手の一人が前に上がり始めるタイミングで同じく上がり始める。
今回は雨ということもあり、集団での下りを嫌い、もしかしたら1本目の上りからペースがあがるかもとか考えており、あまり後ろから上りに入りたくないなと思っておりました。上り突入は集団やや前方付近、悪くはない位置です。
普久川 1本目、強度はちょっと高いように感じました、ペースが速い気がする…。
例年になく高い強度で進行。肉離れ箇所が痛すぎるが、そんなこと言ってると即終了するので耐えるしかありません。
ここまでの練習量のおかげか痛いながらも集団の真ん中〜前方で上れている。
問題はやはりウェットな下り。
皆、それぞれ自重しているようでマージンを持って下っています。しかし、やはり落車は起こります。
見ると吸い寄せられるので見ないようにします。
下ってから海岸線に出てからもあまり番手を下げすぎないように前を走ったり、有力選手が飛び出すと追いかけたりしてしまい、脚が痛いのに無駄に体力を消耗している気もしまいますが、そうなってしまうものは仕方がありません。なんせ5年ぶりの沖縄、つい嬉しくて…。
 

普久川2本目~学校坂

そして2本目の普久川へ突入。
体感的には1本目と変わらないくらいだったと思います。
集団のペースの上げ下げは無視してあくまで自分のペースで上り続けることに。
あれほど気になっていた脚の痛みは途中から消えていました。
正確にはレース麻薬発動で麻痺していたが正しいのでしょう。KOM前には集団の先頭にでるなんてシーンもあったりと、これまた例年にない形です。“3000㎞乗り込んだことは力となっている”ようです。

 

 

比較的前方の方でKOMをクリアでき下りへ。
この山岳コースの頂上付近は1箇所キツイコーナーがあるのですが、そこでスピードに乗りすぎて後輪が滑る感触が…これ以上ブレーキを握ると滑る。
一度ブレーキを開放し、タイヤを起こし立て直すのですが、コーナーリング中の自分の走行ラインから外れあわや落車する寸前に。何とか立て直すことができましたが、とてつもなく肝を冷やしました。
そして、また下りでは落車を拝むことに…。濡れた路面とカーボンが接触するの乾いた無機質で嫌な音が聞こえる。
もう怖すぎます。
自分の技量と安全マージンは個々によって違うだろうから前の人がいけてるから、いけるだろう!はやめておいたほうがいいでしょう。
下ってからちょっとすると勝負の“学校坂”へ突入。ここをクリアしないことには上位に食い込むことはできません。
集団の1人がミサイルのように駆け上がりペース、強度が一気に上がる。
この超強烈なアタックにより集団は縦一列に。そして一気に崩壊。私はというとこの超高強度に必死に喰らいついておりました。

 

ⒸMakoto AYANO/cyclowired.jp

学校坂上りきり~有銘の上り

集団は30人ほどになりました。優勝候補の選手が遅れたことにより、一気にペースがあがります。
何個目かの上りで一人が遂に抜け出し独走体制へ。独走力は皆知っているのだが、ここも回すメンバーが固定されているのもあり、距離が埋まりません。強すぎます。

 

ⒸMakoto AYANO/cyclowired.jp

 

そこそこ前を走ったんじゃないでしょうか?先ほど飛び出した選手を追いかけ始めます。
もっと上手く立ち回り体力の温存という選択肢もなくはありませんでしたが、あの時の私は追いかけたい!という気持ちが強く、しんどかったですが楽しくもあり、温存とかでなく出し切るまで全力を尽くしたいと考えておりました。
数キロかけて飛び出した選手をキャッチ。
そして『有銘の上り』がやってきます。いよいよ私の勝負所となる箇所です。

ここで再び飛び出す選手が…!

明らかにこれまでとは違う破壊力でついている人、いけない人が明確な差となり20数名いた集団は再び、木端微塵に。
ここはいくしかない!と判断しペダルを踏み込みます。

 

ⒸMakoto AYANO/cyclowired.jp

 

ⒸMakoto AYANO/cyclowired.jp

ペダルを踏む込んだものの、耐えることができませんでした。
残りの上り時間を把握していれば耐えることができたかもしれないけど、私は覚えてもいなかった。つまり心が先に折れてしまった、脚も終わっていましたが…。
ここが間違いなく決定的な勝負所で、1つの目標が終わった瞬間でもありました。
いやぁ、勝負所を最後の羽地の上りと予想しており、この区間の上り距離と時間を把握していなかった痛恨のミスです。サイコンをつけていなかったことも。
とはいえレースは続きます。ここからゴールまでおよそ25kmほど。残りそんなにあるの…?と絶望したのを思えています。
 

有銘の上り終わり~ゴールまで

諦めたくないけど、勢いのある先に上った5名と上りで耐えられなかったこの集団ではさっきみたいに追いつくことはもはやないだろうという考えになりました。それでも僅か希望に望みを託し、再び数名のメンバー固定でローテーションを繰り返し、突き進みます。繰り返されるアップダウンで残り人数は残り10名弱ほどでローテーションを回すのですが、明らかひいてる、ひいてない人がはっきりしています。
最終の羽地ダムの上りまでにはもう6名くらいしかいなかったような…。そこで再び人数がバラけます。
何人かと纏まって、アップダウンを越えていきます。
これまでの210kmと比べるとコース難易度は下がっている印象ですが、雨・風の中、神経をすり減らし、ここまで5時間走ってきており、やはりオキナワ200㎞のレースは半端ないです。
既に限界なのは間違いなく脚はスッカラカンです。
お互い声を掛け合うこともなく、最後のウェットな下りへ突入。
ここは昨年から変更された初見のコースで、ここだけは前日に車で下見をしておりましたので何となくコーナーのきつさを頭に入れておりました。
一緒にいた方はマージンをとってか、コーナーの度離れていきましたが、それでも最後の平坦に入ったところで再びドッキングとなりました。
先頭の人たちとの距離はもうすぐそこ。
90度コーナーを抜けてラスト直線1kmでゴール。当然ウェットなので緩めすぎず、攻めすぎず。ここはリスクを負う場面じゃないと自分に言い聞かせます。
近くにいた4名でのスプリント・・・とも思いましたが、お1人ははそんな様子でも無さそうですし、自分も勝負所で散り、最後の羽地ダムでも付いていけなかった時点でもう着順はいいかなという気持ちになってしまいたい、スプリントは若者2人でどうぞという形に。

 

最後にお互いの健闘を称え、拳を合わせて並んでゴールラインへ。
正直、私はどちらが先着でもよかったのですが走っていた勢いそのままに私が先にゴール。

 

200km/12位 でした。

 

私の過去最高順位は11位。順位に関しては目標には届きませんでしたが、死力は尽くせたはずです。
結果には満足しておりませんが、納得はしております。
スタートからゴールまでところどころ雨が止むシーンもありましたが、基本ひたすら降っていたり、豪雨だったりこれまで出場した全レースの中で最もデンジャラスで過酷なレースで無事ゴールできたことは嬉しくもありました。
優勝は最終、独走状態にもちこんだ井上選手。
他を圧倒する強さで、ひたすらに攻め続けた漢の走りでとてもカッコよかったです。おめでとうございます。

 

今回はサイコンなしでエアロ重視。
と言うのはカッコよいのですが正確には・・・持ってくるの忘れました。
コロナ過というのもありましたが、最後のツール・ド・おきなわから5年。
交通事故から3年。リハビリに多くの時間を費やし、再度この最高峰の舞台に戻ってくることができました。もう若くはない自分ですが、ご声援いただきました皆様ありがとうございました。
レースを通じまたご縁が広まったと感じております。
最後に大会開催にあたりご尽力いただきました運営の皆様、悪天候の中大会をサポートされた皆様、地域の皆様に厚く御礼申し上げます。

 

今回使用したバイク

 

MADONE SLR Gen7

 

カスタムポイント① ハンドル周り

色々試して試して、結局デフォルトに戻ってきました。ステム長120㎜、ハンドル幅390㎜

 

カスタムポイント②駆動抵抗軽減

セラミックスピードBB+CDJのビッグプーリー“SV”に変更。

純正に比べ若干の重量増ではありますが、上りにおいては体感できるレベルで足当たりが変わります。

変速性能に関しても全くと言っていいほど犠牲にしていないのもポイントです。

 

カスタムポイント③クランク

ROTOR ALDHU CARBON × POWER2MAX(パワーメーター) × シマノチェーンリング/ DURAACEの“パワーメーターなし”よりも軽く仕上げることが可能でチェーンリングをシマノ純正にすることで変速性能はそのままです。

またカーボンクランクの足当たりが好みです。クランク長165㎜。

この記事を書いた人: Trek

Our mission: we build only products we love, provide incredible hospitality to our customers, and change the world by getting more people on bikes.