マッズ・ペデルセンは2013年のジュニア世界選手権で、マチュー・ファン・デル・プールに続き、2位でゴールした。それから6年後のある日曜日にヨークシャー・ハロゲイトで行われた世界選手権で2人は再開。今回も世界一の称号を賭けて戦ったが、その状況はまるで違っていた。
男子エリートのレースで話題をかっさらったのは、プレ大会の本命、ファン・デル・プール。ペデルセンの話題? 彼はデンマークのリーダーですらなかった。同国出身のミカエル・ヴァルグレンやヤコブ・フルサンより経験豊富で勝利を多く手にしてきたライダーであるのに、だ。
しかし、残り12kmをちょうど過ぎた辺りで飛び出したのは、ファン・デル・プールと、優勝争いに名前すら挙がっていなかったマッズ・ペデルセンだった。マッズは、彼の人生最大の偉業を達成することになる。弱冠23歳での世界チャンピオン。雨降るヨークシャーでの壮大なレースでは、最もたくましい者だけが生き残れる。
「信じられない。今朝のスタートでは、こうなるなんて思ってもいなかった。忘れられない1日になったよ」と、たった今成し遂げた偉業に言葉が出てこないペデルセン。
レインボージャージを賭けた3名のアタックでは、僅差ですらなかった。冷たい雨の降る過酷な262キロを走り抜いたペデルセンは、彼こそが最強だと見せつけた。
最終周に形成された逃げ集団がそのままゴールに向かう可能性があると、誰もがファン・デル・プールの勝利だと確信した。このオランダ人選手が突然飛び出すと、もう一人の有力候補、イタリアのマッテオ・トレンティンに皆が目を向けた。若いデンマーク人に期待した者はいなかった。しかし、クラシック方式の世界選手権において、ペデルセンはまたしてもその驚異的な才能を発揮。なお、彼は2018年のロンド・ファン・フラーンデレンで2位となっている。
「チームのプランは、最終周序盤に僕を前に出し、その後からヴァルグレンとフルサンが着いてくるというもの。でも結局、彼らは僕の集団に来ても、ファン・デル・プールとトレンティンを追わなかった。そこからはとにかくサバイバルさ。そして、スプリントで引き離せますように、と祈ったんだ」と、ペデルセンは説明する。
最終周に差し掛かる頃、先導していたのはファン・デル・プール、ペデルセン、トレンティン、スイスのステファン・キュング、イタリアを優位に導くと思われたジャンニ・モスコンの5名。ファン・デル・プールが最終周に入った時点で飛び出し、そして序盤は脱落するも、のちに順位を上げたモスコンが登りで失走すると、メダル争いは3名に絞られた。
ペデルセンは3位以上を確実としたが、トレンティンがこの3名のスプリントを征すると皆は思った。
悪天候下を走ること6時間半、ペデルセンがスプリントの先頭を走る中、トレンティンが1位へ浮上し、バイク1台分の差をつけた。
だが、若きデンマーク人に最終決定権はあった。
「ゴールラインが見えたとき、全ての痛みが消え、素晴らしいスプリントができたら、と願った。6時間半もレースをしていて誰もが限界の状態だったから、そのスプリントで何が起きてもおかしくなかったんだ」と、ペデルセン。
「1日中集中し、ずっと先頭を走り続けてきた。でも、これがシーズン最後のレースの1つだったから、6時間半続いた集中力を保ち続け、運を味方につけて最善を願うことが全てだった。このジャージを着るのは全ライダーの夢。それが今叶うなんて、信じられないよ」。
ペデルセンは2019年のシーズン序盤に苦戦を強いられたが、彼の体調と自信はこの1ヶ月間で高まった。1週間前、ペデルセンはついにグランプリ・ディスベルグで今シーズン初優勝を飾る。
そしてハロゲイトでの雨の日曜日に、2度目の優勝を手にした。
この記事を書いた人: Trek
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