トレック創業ストーリー 歴史を学ぼう

トレック創業ストーリー 歴史を学ぼう

全てはこの赤い小屋から始まった

偉大なブランドには、偉大なストーリーがある。
トレックはいかにして生まれ、世界で愛されるスポーツバイクブランドへと成長したのか。

その軌跡を見ていこう。

当時のディック・バーク

運命のフライト

1975年、ウィスコンシン州に戻る短い乗り継ぎ便で、ディック・バークとベビル・ホッグは偶然隣同士に座った。自然と会話を始めた2人は、サイクリングの話題で大いに盛り上がった。自転車に情熱を注ぎビジネスチャンスを感じていたベビルと、流通業を営む情熱的な起業家ディック。

見ず知らずの2人の間に、パートナーシップが成立した。まさに運命のフライトだ。

ディックとベビルが通い詰めたパインノール・サパークラブ

名前はどうする?

冬の寒い夜、ディックとベビルはパインノール・サパークラブに座っていた。彼らが仕事終わりに通い詰めるバーだ。その夜の話題は、立ち上げたばかりのバイクカンパニーの名前をどうするか、というもの。

白熱した議論の後、候補は2つに絞られた。トレック、そしてケストレル。

猛禽類を意味するケストレルも悪くないが、彼らは「トレック」という名に特別な力を感じていた。冒険への心を呼び起こし、はるか遠くにすばらしい何かが待っている期待を感じさせる響きーー。

ついに2人は立ち上がり握手を交わした。「トレック・バイシクル」誕生の瞬間だ。

 

 

 

Nacida en un granero

全てはこの赤い小屋から始まった

はじまりの赤い倉庫

1976年、アメリカ・ウィスコンシン州に佇む赤い小屋で、彼らは仕事に取り掛かった。

たった5名の従業員が「世界一のバイクづくり」を目指し、1年間で904本ものフレームを手作業で製造した。

こうしてMade in USAのハイエンドバイクが登場したのだ。

初の海外オフィスメンバー

世界へ

1980年後半のある日、スイスの自転車販売会社から1枚のファックスが届いた。

「スイスで自転車を売ってみないか?」

トレックによるグローバルビジネスの始まりだ。

最初はバイク60台だった。2週間後に100台の追加注文、さらに2週間後には300台の注文が来た。「もしかしたらアメリカ以外の人たちが、私たちのバイクに興味を持っているのかもしれない」と思い始めた。そして事実、そうだった。

その後需要の高まりに応えるため、イギリスに初の海外オフィスを開設。

こうして世界中の人々が、トレックに乗り始めた。

現在のTREK本社

40年経った現在、トレック本社ははじまりの赤い倉庫から1マイル道を上ったところにある。ただし、施設はかつてより広大だ。

そこに佇む建物は、バイクテクノロジーの進歩を他のどのブランドのそれよりも目にしてきたはずだ。しかしトレックのエンジニアや開発者は、謙虚な姿勢を崩さない。それは私たちの旅には終わりなどないと理解し、常に上を目指しているからだ。

トレックは現在に至るまで家族経営されている。従業員はもちろん、トレックに乗る全世界の人々がトレックファミリーだ。

私たちは赤い倉庫の時代から大きく成長したが、作るバイクはすべて、トレック創立時の信条を受け継いでる。

この記事を書いた人: Trek